東京地方裁判所 昭和44年(ワ)11430号 判決 1971年10月26日
原告
柴田勇雄
外一名
代理人
河野曄二
被告
前田建設工業株式会社
代理人
堀家嘉郎
外六名
主文
一 被告は、原告柴田勇雄に対し金一九一万五〇〇〇円およびうち金一四九万五〇〇〇円に対する昭和四三年九月三日以降、うち金四二万円に対する同四四年一〇月三〇日以降各完済に至るまで年五分の割合による金員の、原告柴田トミに対し金一八六万五〇〇〇円およびうち金一六九万五〇〇〇円に対する同四三年九月三日以降うち金一七万円に対する同四四年一〇月三〇日以降各完済まで年五分の割合による金員の、それぞれ支払いをせよ。
二 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用はこれを三分し、その二を原告らのその余を被告の、各負担とする。
四 この判決は、原告ら勝訴の部分に限りかりに執行することができる。
事実
第一 請求の趣旨
一 被告は、原告勇雄に対し五八六万二一〇二円およびうち四二九万八六五〇円に対する昭和四三年九月三日以降、うち一五六万三四五二円に対する同四四年一〇月三〇日以降各完済まで年五分の割合による金員の支払を、また、原告トミに対し六〇九万九一五〇円およびうち五二九万八六五〇円に対する同四三年九月三日以降、うち八〇万〇五〇〇円に対する同四四年一〇月三〇日以降各完済まで年五分の割合による金員の支払いをせよ。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
との判決および仮執行の宣言を求める。
第二 請求の趣旨に対する答弁
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
との判決を求める。
第三 請求の原因
一 (事故の発生)
訴外柴田敬幸は、次の交通事故によつて死亡した。
(一) 発生時 昭和四三年九月二日午後八時二〇分頃
(二) 発生場所 東京都大田区大森東四丁目一番二七号先路上
(三) 加害車 トラツク・クレーン車(品川八な三九九号)
運転者 訴外長谷川陽一
(四) 被害者 亡敬幸(道路横断中)
(五) 態様 亡敬幸が青信号に従つて交差点脇の横断歩道上を歩行中、左折して来た加害車に轢過されて死亡した。
二 (責任原因)
被告は、本件加害車を所有して自己のため運行の用に供していたものであるから、自賠法三条により、本件事故によつて原告らに生じた損害を賠償する責任がある。
三 (損害)
(一) 葬儀費用等
七一万二〇三六円
亡敬幸の事故死に伴い、原告勇雄は右金額の負担を余儀なくされた。
(二) 亡敬幸の逸失利益
七五九万七三〇〇円
亡敬幸は、事故当時五才二月の健康な男子であり、本件事故がなければ少くとも二〇才から六三才まで稼働してその間昭和四四年度労働統計年報による別紙記載の金額を下らない収入をあげうるものと予測され、その間の生活費を右収入の五割として年五分の中間利息を控除すれば、その逸失利益の現価は右金額となる。
そして、原告らは、亡敬幸の両親として相続分に従い、右賠償請求権を各二分の一に当る三七九万八六五〇円宛相続した。
(三) 原告トミの健康阻害による治療費 二五万一四一六円
同原告は、本件事故に先立つ昭和四三年八月中旬頃から妊娠中絶、避妊手術を受けるため入院したところ、子宮腫瘍を発見されて子宮剔出手術を受け、同年九月二日には退院予定であつたが、本件事故のため退院を一時見合わせ、同月六日に漸く退院した。しかし、亡敬幸の事故死による精神的打撃は甚大であり、ふさぎ込んだ状態にあつたところ、たまたま同月一〇日本件加害車と同種車両を目撃して突如精神錯乱状態に陥り、同日大森赤十字病院に入院したが、血圧の乱高下、吐き気、無気力感が続き、翌四五年一月二八日まで入院治療を続け、右金額の治療費を要した。これは原告勇雄において負担した。
そして、被害者に病弱の親もあり、愛児の死亡によつて健康を害するおそれがあることも一般に当然予想されるところであるから、右損害も本件事故と相当因果関係ある損害というべきである。
(四) 原告トミの健康阻害による労働能力の喪失 四〇万〇五〇〇円
同原告は本件事故のため右のとおり入院のやむなきに至り、この間主婦としての労働に就くことができなかつた。昭和四二年度労働統計年報によれば、女子労働者の年間平均賃金は三一万〇一〇〇円であるから、同原告の主婦としての労働力も経済的には右と同価には右と同価に評価すべきものである。そして労働能力喪失期間は少なくも一年三月半に及ぶから、同原告の労働能力喪失による損害は右金額となる。
(五) 慰藉料合計 五〇〇万円
前記諸事情に鑑み、次男敬幸の事故死による精神的苦痛を慰藉すべき額としては、原告勇雄に対し二〇〇万円同トミに対し三〇〇万円が相当である。
(六) 損害の填補
原告らは、自賠責保険金三〇〇万円を受領済なのでこれを各二分の一宛、それぞれの前記慰藉料に充当する。
(七) 弁護士費用 合計一〇〇万円
原告勇雄において六〇万円、同トミにおいて四〇万円を負担した。
四 (結論)
よつて、被告に対し、原告勇雄は、五八六万二一〇二円、および、うち逸失利益相続分と慰藉料から損害填補分を控除した四二九万八六五〇円に対する事故発生の翌日である昭和四三年九月三日以降、その余の一五六万三四五二円に対する訴状送達の翌日である同四四年一〇月三〇日以降各完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。また、原告トミは、六〇九万九一五〇円、および、うち逸失利益相続分と慰藉料から損害填補分を控除した五二九万六八五〇円に対する同じく昭和四三年九月三日以降、その余の八〇万〇五〇〇円に対する同じく同四四年一〇月三〇日以降各完済まで前同様年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
第四 被告の事実主張
一 (請求原因に対する答弁)
(一) 請求原因第一、二項の事実は認める。
(二) 同第三項中の損害填補の事実は認めるが、その余の事実は知らない。
二 (過失相殺の抗弁)
加害車運転の訴外長谷川は、本件交差点において左折するについて、時速約五粁に減速したうえ、左折の合図を出しながら左方の安全を確認して左折進行した。亡敬幸は叔母柴田法代に連れられて本件横断歩道にさしかかつたのであるが、帰宅を急ぐあまり、加害車の死角になる位置から法代の手もとを離れて横断歩道上(正確には横断歩道から若干外れたところ)に飛び出して加害車に接触し、本件事故に至つたのである。
従つて、本件事故発生については亡敬幸の飛び出しおよびこれを制止注意しなかつた保護監督者たる法代の過失も与つていたものというべく、本件賠償額算定に当つて右過失を斟酌すべきである。
第五 抗弁に対する答弁
抗弁事実をすべて否認する。
第六 証拠関係<省略>
理由
一(死亡事故の発生および責任原因)
請求原因第一、二項の事実はいずれも当事者間に争いがないから、被告は、本件事故によつて原告らに生じた損害を賠償する責任がある。
二(過失相殺)
<証拠>によれば、次の事実が認められる。
本件事故現場は、南北に準ずる歩車道の区別のある通称産業道路(以下甲道路という)に、東側から歩車道の区別のない道路(以下乙道路という)が直角に交わる交差点の、乙道路側交差点入口の横断歩道上であり、右交差点には信号機の設備がある。加害車が甲道路を南進して道路へ向けて右交差点を左折進行中、横断歩道の東側端沿いに北から南に向け歩行していた亡敬幸に、加害車の左側前部が接触し、左前輪で同人の頭部を轢過して、本件事故に至つた。接触地点は、乙道路北側から約3.2米入つた地点である。
加害車は、青信号により、道路左端との間に約1.6米の間隔をとり、時速を約一〇粁に落として左折を始め、左折を完了してからは乙道路左端との間に3.2米の間隔をとつて進行していた。
亡敬幸は、叔母の柴田法代に連れられ、甲道路東側の歩道上を、法代より数歩先んじて歩行し、北側から右横断歩道にさしかかり、青信号であつたのでそのまま横断歩道に歩を進めた。法代がややおくれて横断歩道際に至つたとき、敬幸は既に前記接触地点付近にあり、同時に法代は、加害車が停車することなく将に横断歩道にさしかかろうとするのを発見し、驚いて声をあげたが、次の瞬間接触するに至つた。
右のとおり認められる。
被告は、本件事故が敬幸の飛び出しによる事故であると主張するが、そのように認めるに足りる証拠はない。むしろ右事実によれば、加害車が左折して横断歩道にさしかかるより先に、敬幸は横断歩道に入つていたものと認むべきである。また<証拠>において訴外長谷川は、左右の安全を確認して左折した旨説明しているが、この部分は次の理由により採用しない。即ち、
<証拠>によれば、加害車は大型特殊自動車で、運転席左側からその前方約五米にわたり、鉄骨のクレーンが斜横倒しに装着されているため、運転席から左方および左前方に対する見通しは、クレーン鉄骨の隙間越しにみることになり、また加害車左側下部は運転席から一部死角になる。しかし、加害車が道路左端との間に前認定のような間隔をとつて交差点にさしかかりこれを左折するときは、敬幸において余程異常な歩行経路をとらない限り(本件においてそのような事情は認められない。)、前記東側歩道上を歩行しまたそこから横断歩道上に踏み出す敬幸の身体の全部もしくは一部を、鉄骨越しにではあるが継続して見通すことができるものと認められる。そうであれば、むしろ長谷川は左折に当り左右および左前方に対する注意が十分でなかつたものと認めざるをえない。
およそ、交差点において横断歩道により青信号に従つて歩行しようとする歩行者に対しては、右後方から交差点を左折進行する自動車は、これを避けて横断歩道上に進入すべきものであり、歩行者もこれに信頼して左折車の動向に留意することなく横断して差しつかえがないのであるが、本件においても、以上の事故態様に照らせば、敬幸ないし法代に過失を認めることはできない。他に過失相殺をするに足りる被害者の過失を認めるに足りる証拠はないから、被告の過失相殺の主張は採用できない。
三(損害)
(一) 葬儀費用等 二五万円
<証拠>によつて原告勇雄が負担したと認められる葬儀費用は、被告は、敬幸の死亡、仏壇を購入したことを考慮しても、右金額の限度で本件事故と相当因果関係ある損害というべきである。
(二) 亡敬幸の逸失利益 二九九万円
<証拠>によれば、亡敬幸は、昭和三八年六月二七日生れ事故当時五才の男子であつたことが認められるから、本件事故がなければ、少くとも二〇才から六〇才までの四〇年間にわたつて稼働し、労働大臣官房労働統計調査部作成の賃金構造基本統計調書報告昭和四五年度版によつて認められる男子労働者平均賃金年収一〇二万六九〇〇円程度の収入を挙げうるものと推認され、右稼働期間の生活費として右収入の五割を、さらに右稼働能力を取得する二〇才に至るまでの必要経費として月額一万円程度の養育費をそれぞれ要するものと認めるのが相当である。そこで、右生活費控除後の収入および養育費につきそれぞれライプニツツ計算法によつて年五分の中間利息を控除して合算し、前者から後者を控除して亡敬幸の逸失利益の現価を求めると、次の算式のとおり二九九万円(万円未満切捨)程度と認められる。
1,026,900円×(1−0.5)×(18.6334−10.3796)−10,000円×12×10.3796=299万2362円
そして、<証拠>によれば、原告らは亡敬幸の両親であることが認められるから、相続分に従がい、右賠償請求権を各二分の一の一四九万五〇〇〇円宛相続したものと認められる。
(三) 原告トミの健康阻害による治療費および労働能力の喪失
原告らは、本件事故に基づく敬幸の死亡により、原告トミは母親として甚大な精神的苦痛を受けた結果、健康を害し、入院治療を余儀なくされたとして、これによる治療費および主婦としての労働能力喪失による損害の賠償を求めるのである。
しかしながら、生命を害された者の一定の近親者は、民法七一一条によりその精神的苦痛を慰藉すべき慰藉料の請求権を認められるのであり、その精神的苦痛が当該近親者に具体的にどのような形をとつて現われたかは、全て右慰藉料を算定するに当り考慮されるべき事情であつて、それが健康阻害やそれを伴う入院治療という結果を伴つた場合も、また同様というべきである。そして、生命を害された者に対する侵害行為と評価されるような特別の場合(例えば、ある者の健康を害する意図でその近親者の生命を奪つた場合)を除いては、右のようにして算定される近親者固有の慰藉料請求権と並んで、原告ら主張のような治療費や労働能力の喪失損害を別個の傷害として構成することは、わが民法の予定しないところと解するのが相当である。従つて、この点の原告らの主張は、それ自体失当というべきである。
ただ、右述のとおり、原告主張のような事情があれば、後出の原告トミの慰藉料の算定上考慮されることになるので、それがどの程度において敬幸の死亡と因果関係を有するかについて判断する必要がある。
<証拠>によれば、原告トミは、本件事故に先立つ昭和四三年八月中旬頃妊娠中絶および避妊の手術を受けるべく入院したところ子宮腫瘍が発見されて子宮剔術を受け、本件事故後である同年九月八日婦人科としては完治して退院したこと、しかし再び同月一〇日呼吸困難、嘔気の症状を呈して大森赤十字病院に入院し、妊娠中毒後遺症(高血圧)の診断を受け、症状は軽快に向つたが、時折活気なく臥床しがちであつて、これは精神的影響によるものと思われるという趣旨の診断を下される状態で翌四五年一月二八日まで入院生活を続けたことが認められる。
そうすると、同原告の再入院は、基本的には妊娠中毒後遺症によるものであつて、ただ敬幸の死亡による精神的打撃がその回復を遅らせ、入院を長期化させた程度にすぎないものと認められる。従つて、敬幸死亡後の同原告の入院治療の全てをその死亡による結果であるとする原告らの主張は失当であるのみならず、慰藉料算定上も、敬幸の死亡当時同原告がたまたまそうした病気中であつたという程度において若干斟酌されるのにすぎない。
(四) 慰藉料 原告勇雄一五〇万円
原告トミ一七〇万円
前記諸事情その他一切の事情を考慮すれば、原告らが次男敬幸を本件事故によつて喪つた精神的苦痛を慰藉すべき額としては、それぞれ右金額が相当である。
(五) 損害の填補
原告らが自賠責保険金各一五〇万円を受領済であることは当事者間に争いがないから、これを以上各自の損害額から控除する。
(六) 弁護士費用
前記諸事情その他本訴に現われた一切の事情を考慮すれば、原告勇雄に対し一七万円、同トミに対し一七万円の限度で本件事故と相当因果関係ある損害を認められる。
四(結論)
よつて、原告らの本訴請求は、原告勇雄に対し一九一万五〇〇〇円およびうち葬儀費用と弁護士費用を除いた一四九万五〇〇〇円に対する事故発生の翌日である昭和四三年九月三日以降、うち四二万円に対する訴状送達の翌日であることが記録上明らかである同四四年一〇月三〇日以降各完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の、原告トミに対し一八六万五〇〇〇円およびうち弁護士費用を除いた一六九万五〇〇〇円に対する同じく昭和四三年九月三日以降、うち一七万円に対する同じく同四四年一〇月三〇日以降各完済まで同様年五分の割合による遅延損害金の、それぞれ支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条、仮執行宣言につき同法一九六条に従がい、主文のとおり判決する。
(坂井芳雄 浜崎恭生 鷺岡康雄)